信仰より生存を選ぶも妻子は処刑…「島原の乱」唯一の生存者・山田右衛門作の壮絶な裏切りの記録【後編】
日本の歴史には、多くの戦乱や反乱がありましたが、その中でも江戸時代最大の一揆とされるのが、「島原(・天草)の乱」です。
この乱の結末は、幕府の圧倒的な軍勢による鎮圧と、一揆勢のほぼ全滅という悲劇的なものとなりましたが、一揆勢側として反乱に参加し、唯一生き残った人物がいます。
彼の名は、山田右衛門作(やまだ えもさく)。
イメージ(メトロポリタン美術館蔵 Public Domain)
【前編】の記事はこちら↓
信仰より生存を選ぶも妻子は処刑…「島原の乱」唯一の生存者・山田右衛門作の壮絶な裏切りの記録【前編】【後編】……この知らせはすぐに天草四郎のもとへ届けられました。文を読んだ天草四郎は激怒し、裏切り者として右衛門作を捕らえ、彼の妻子を見せしめとして処刑しました。右衛門作自身も、牢に閉じ込められることになったのです。
その後、幕府軍の総攻撃が始まり、原城は落城。幕府は「一人も生かしてはならぬ」という命令を下し、城内の人々は女子供も含めて皆殺しにされました。しかし、牢の中に閉じ込められていた右衛門作は、幕府軍によって発見され、命を救われました。
老中・松平信綱の判断により、彼は幕府の取り調べを受けることになったのです。
江戸へ送られた右衛門作は、「山田右衛門作口書」を提出し、一揆の状況を詳しく語りました。その内容は、島原・天草の乱の貴重な記録として今に伝わっています。
その後、彼は幕府に仕え、再び絵師としての活動を始めます。しかし、皮肉なことに、彼の絵はキリシタン摘発のための踏絵として使われることになりました。
また、放火事件が相次いだ際には、「処刑される罪人の姿」を描かされ、それが市中に掲げられることで犯罪抑止の役割を果たしたといいます。
山田右衛門作は、家族を守るために戦い、信仰ではなく生存を選びました。しかし、生き残った彼の人生が幸福だったかどうかは分かりません。我々は残された記録から、彼の心情を想像するしかないのです。
彼の生涯は、歴史の中で語られることの少ない側面を映し出しています。信仰と生存、正義と裏切り…。 その狭間で揺れ動いた彼の選択は、現代の私たちにも多くのことを考えさせてくれるでしょう。
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なぜ絵師がキリシタン摘発の岡っ引きに!?「島原の乱」唯一の生き残り・山田右衛門作の生涯参考文献
北野典夫『天草キリシタン史-幻のパライゾへ』(1987 葦書房) 神田千里『島原の乱』(2005 中央公論新社) 鶴田倉造著 『Q&A 天草四郎と島原の乱』 (2008 熊本出版文化会館) 歴史の謎研究会編『誰も知らなかった顛末 その後の日本史』(2017 青春出版社)日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

