ハゲとか言うな!宣教師・ザビエルの髪型(トンスラ)にはどんな意味があるのか?
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以後よく(1549年)広まるキリスト教……そんな語呂合わせで知られるキリスト教の日本伝来。
宣教師フランシスコ・ザビエル(Francisco de Xavier)が日本にやって来た年をもってそう言われていますが、ザビエルと言えばあの特徴的な髪型。日本史の教科書にも載っているあの肖像画が有名ですね。

俗にザビエル禿(ハゲ)とも言われる、頭頂部のみ剃り上げたヘアスタイルが、人々に強烈なインパクトを植えつけました。
よく頭頂部が薄くなっている人に「ザビエル」とあだ名をつけるのは、これに由来しています。
※同じ頭髪状態としては「カッパ禿げ」が双璧でしょうか。
これは禿げている訳ではなく、トンスラ(tōnsūra。トンスーラ、トーンスーラとも)と呼ばれる聖職者を意味する髪型です。
果たしてどんな意味があるのでしょうか?
恥ずかしい髪型に込められたペテロの想いトンスラはキリスト教の中でもカトリックの間で行われており、他宗教でもヒンドゥー教徒や仏教徒の一部で行われていると言います。
ただし日本ではザビエルの印象があまりに強烈だったせいか、カトリックひいては宣教師の髪型に限定して呼ぶことが多いようです。
坊主頭に頭髪のリングをかぶせたようなトンスラの起源には諸説あり、ヤコブス・デ・ウォラギネ『黄金伝説』ではこのような説があると言います。

官憲よりイエスへの関与を追及されたペテロが、イエスを否定する場面。ホントホルスト「ペトロの否認」
一、ペテロが師イエス=キリストの教えを説いていたところ、キリストを侮辱するアンティオケイアの人々が、ペテロの頭頂部にある頭髪を切り落とした故事に由来するという説。
一、イエス=キリストが処刑される時にかぶせられた茨の冠を髪型で模しているという説。
ペテロはイエスに師事した弟子の中でも最も信仰心が(岩のように)厚いと言われた人物です。
しかし師が捕らわれてしまうと官憲の追手に対し、生命惜しさで「イエスなど知らない」と三度も繰り返してしまいました。
これが人間の悲しさ、信仰の脆さで、イエスの死後は決して挫けることなく(挫けそうになったことはあったものの)信仰をまっとうしたのです。
そんなペテロの想いに共感するため、あえて恥ずかしい髪型を耐え忍び、俗世と決別する意志を表明したのでした。
自発から強制、廃止へ
かくして始まったトンスラは、6世紀には普及していたようです。
ベーダ・ヴェネラビリス『教会史』でもトンスラこそが聖俗を峻別する証であることが言及されました。
当時は長髪が当たり前だった中で、トンスラを剃るのは大変に勇気が要ったことでしょう。
だからなのか、始めはトンスラも強制ではなく、求道者の意思に任されていました。
しかし13世紀ごろになると全聖職者に強制されるようになっていたそうです。
こういうのは自発的な意志こそが尊いのであって、強制し始めるようになると、次第に精神が形骸化していくのは避けられません。
そして約7世紀にわたって聖職者のトレードマークとなっていたトンスラ。しかし20世紀に入るとその意義が問われるようになり、1972年には公式に廃止されたのでした。
ただし一部では緩和された形で残っており、司祭に叙階される者は後ろ髪をハサミで丸く2~3センチほど刈り取る儀式があるそうです。これはトンスラの名残なのでしょうか。
ザビエルはトンスラじゃなかった?説も
ちなみにザビエルが所属していたイエズス会においては、カトリックであってもトンスラの習慣はなかったと言います。強制と言っても、さすがに全宗派&全教徒ではなかったのですね。
なので実際のザビエルは頭頂部をトンスラにしていなかった可能性があると言います。
現代よく知られているザビエルの肖像は、ザビエルの死後しばらく経ってから想像で描かれたものと言われ、イエズス会の習慣についてはよく知らなかったのかも知れません。
恐らく「カトリックだから、恐らくトンスラにしていたのだろう」と思い込んで描いたのでしょうね。
終わりに今回はフランシスコ・ザビエルの髪型とされるカトリックの習慣トンスラについて解説してまいりました。
ザビエルの肖像画を見ていると「ハンサムなのに、この髪型がもったいないな……」と思ったことも一度や二度ではありません。
もしかしたら、しっかりと髪を伸ばしていた可能性もあるのですね。皆さんは、ザビエルの髪型はどんなのが似合うと思いますか?
※参考文献:
神戸市立博物館編『南蛮美術セレクション』1998年10月 サントリー美術館・神戸市立博物館『『南蛮美術の光と影 泰西王侯騎馬図屏風の謎』展図録』日本経済新聞社、2011年1月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan