【大河べらぼう】蔦重とのコラボにネット歓喜!朋誠堂喜三二こと平沢常富(尾美としのり)とは何者なのか? (2/4ページ)

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小七郎宗通)ということです。

天明年間(1781~1789年)には久保田藩の江戸留守居役筆頭を勤め、その石高は120石。現代の感覚では年収およそ1,200万円くらいでしょうか。

江戸留守居役は江戸藩邸に常駐し、幕府や他藩との連絡調整を行う、外交官のような役割を担っていました。

その筆頭を勤めたのですから、平沢常富は相当に優秀だったことでしょう。

「宝暦の色男」は仕事も遊びも全力だった?

社交の場でもあった吉原遊郭(イメージ)

一方で若いころから吉原遊廓に通い続け、「宝暦(1751~1764年)の色男」などと自称しました。

吉原遊廓は単に性欲の処理だけではなく、社交の場としても機能しており、江戸市中では話しにくい情報交換なども行われていたようです。

遊びの中で様々な情報を仕入れ、それを外交官の本業に活かしていたのかも知れませんね。

※純粋に女好きである可能性もありますが……。

仕事も遊びも全力?な平沢常富は文才にも秀で、勤めの合間に筆を振るった黄表紙作品でヒットを飛ばします。

また狂歌師としても活躍し、田沼政権時代は天明狂歌ブームを巻き起こしました。

多くの狂歌連(連はサークル)に名を連ね、一世を風靡するのです。

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