驚きの捜査手法!鬼平・長谷川平蔵が江戸時代屈指の高い犯罪検挙率を誇ったのは何故か?【前編】 (1/3ページ)
多忙な平蔵
本稿では、長谷川平蔵の犯罪捜査と高い検挙率の秘密について、前編・後編に分けて説明します。
ご存じ、『鬼平犯科帳』で有名な「鬼平」こと長谷川平蔵は、火付盗賊改と人足寄場という2つの加役を担っていました。
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激務である火盗改の仕事との両立が、心身ともに厳しいものがあったことは想像に難くありません。
例えば「御仕置例類集」に記された平蔵が残した判決例は、寛政元年(1789年)から寛政3年(1791年)までの3年間の合計が30件なのに対して、平蔵が人足寄場の運営から離れた寛政4年(1792年)には25件、寛政5年(1793年)に4件、亡くなる前年となる寛政6年(1794年)には76件もあります。
