源氏と平氏の立場逆転!”武士の世”の始まりを告げ歴史が大きく動きだした「平治の乱」をわかりやすく解説 (2/4ページ)
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まさしく”武士の時代”の始まり!平安時代に起きた「保元の乱」の歴史的な意義・全貌をわかりやすく解説信西はとても優秀で、後白河法皇の政治を助けていましたが、それに反発する貴族も多くいました。その中の一人が藤原信頼(ふじわらののぶより)でした。信頼は「自分が権力を握りたい」と考え、味方を集めます。そこで協力したのが、源義朝でした。
1159年、平清盛が熊野(くまの)へ参詣して京都を離れている間に、信頼と義朝はクーデターを決行しました。彼らはまず後白河法皇を幽閉し、信西を攻撃します。信西は一度逃げましたが、最終的には見つかり、自ら命を絶ちました。
これで信頼と義朝の勢力が京都を支配するかと思われましたが、ここで問題が起こります。信頼は平清盛を味方につけようとしましたが、清盛はこれを拒否。逆に後白河法皇を救い出し、反撃の準備を始めます。
清盛は戦いの前に、まず後白河法皇と二条天皇を助け出す作戦を立てます。その方法が「女装作戦」でした。なんと天皇を女性の服に着替えさせ、密かに宮中から脱出させたのです。無事に脱出に成功し、清盛は天皇の名のもとに義朝たちを討つことを決意します。
