源氏と平氏の立場逆転!”武士の世”の始まりを告げ歴史が大きく動きだした「平治の乱」をわかりやすく解説 (1/4ページ)
「保元の乱(ほうげんのらん)」から3年後の1159年(平治元年)、京都で「平治の乱(へいじのらん)」という戦いが起こりました。この戦いによって、日本の歴史は大きく動き、源氏と平氏の立場が逆転しました。
戦いの中心には、後白河法皇(ごしらかわほうおう)、その側近の藤原信西(ふじわらのしんぜい)、そして源義朝(みなもとのよしとも)と平清盛(たいらのきよもり)がいました。
この戦いがどうして起こり、どのような結果をもたらしたのかを、わかりやすく説明していきます。
この時代、日本の政治の中心は天皇ではなく「院政(いんせい)」と呼ばれる形で、退位した天皇が実権を握ることが一般的でした。1156年に「保元の乱」という戦いがあり、それによって後白河法皇が権力を握ります。このとき、彼を支えたのが藤原信西という人物でした。