「大化の改新」は後世の創作!?「乙巳の変」に秘められた謀略をめぐる最新学説を紹介【前編】 (2/3ページ)
天皇にならなかった中大兄皇子
上述の通り、孝徳天皇(軽皇子)が皇極天皇に代わり即位した後に行われた一連の政治改革を「大化の改新」と呼びます。
乙巳の変に始まる大化の改新の主役は中大兄皇子であり、次期天皇にふさわしい人物と思われますが、蘇我入鹿暗殺後、彼はなぜか皇位には就きませんでした。その理由について、『日本書紀』は次のように伝えています。
皇極天皇が中大兄皇子に皇位を譲ろうとすると、皇子は退出して中臣鎌足に相談しました。
鎌足は「兄上の古人大兄皇子がいるのに皇位を継げば、人の道に背きます。叔父上の軽皇子を立ててはどうですか」と進言し、皇子はその通りに天皇へ奏上します。
それならと天皇は軽皇子に譲位しようとしますが、今度は軽皇子も「古人大兄皇子が即位すべきです」と何度も固辞します。
しかし、中大兄皇子と軽皇子から推された古人大兄皇子が「私は出家して吉野に入り、仏道修行に励みます」と断ったため、結局軽皇子が即位し、孝徳天皇が誕生しました。
定説とその成果上述の経過を記した『日本書紀』の記述について、これまでの定説では、中大兄皇子は「皇太子の方が自由に政治手腕を発揮できる」と判断したため譲位を固辞したとされています。つまり、孝徳天皇を傀儡に立て、皇太子として実権を握る道を選んだというのです。