鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』は北条氏による歴史の捏造!?鎌倉時代の通説を覆す数々の学説 (3/3ページ)
武士の側も朝廷の側もお互いにうまく利用し合うことで、幕府と朝廷はうまくバランスを取っていたのです。
それが崩れたのが1219年の実朝の暗殺です。実朝が頼家の子に殺されたことで朝幕関係は不安定にり、承久の乱のきっかけになりました。
この乱では、北条政子による東国の御家人の説得が成功して上皇側を破り、後鳥羽ら3人の上皇が配流されたことで幕府の権力が強まりました。
こうしたきっかけがあって朝廷の勢力は低下したのであり、最初から武士と貴族が対立していたわけではなかったのです。
参考資料:
中央公論新社『歴史と人物20-再発見!日本史最新研究が明かす「意外な真実」』宝島社(2024/10/7)
画像:photoAC,Wikipedia
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan