鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』は北条氏による歴史の捏造!?鎌倉時代の通説を覆す数々の学説 (2/3ページ)
ところが、これは『吾妻鏡』によりかかった説であり、貴族の日記や他の史料なども調べていくと、頼家は御家人と貴族の間の所領をめぐる訴訟などでは公正な裁きをしていたことが分かります。
また実朝はそれに加え、街道の整備や軍馬の育成など、きちんと将軍としての務めをしていました。
『吾妻鏡』は、主に北条氏の全盛期である13世紀後半に幕府側の視点で編纂されました。源頼朝の正しい政治を継いだのは頼家や実朝ではなく北条家だったというという筋書きにした可能性は大いにあります。
特に、3代執権の泰時を正統な後継者にしようと史実を脚色したふしもみられます。
2022年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも、義時がなぜ最後に実権を握れたのかが、ドラマの大きなテーマになっていました。
これは、彼が頼朝の御台所だった政子の弟であることも大きいのですが、合戦の時も情勢分析に長けていた戦略家だったという点がポイントです。
武士と貴族の関係また、鎌倉初期は武士と貴族が対立していたというイメージがありますが、必ずしもそうではありません。
武士たちは自らの勢力を維持拡大するために朝廷の官位を望み、頼朝は将軍の推挙を受けた武士に官位を与えることで全国の治安維持を担わせていました。