この生き様、どう描く!?平賀源内の遺体を引き取った相棒・平秩東作(木村了)の男気あふれる生涯【大河べらぼう】

Japaaan

この生き様、どう描く!?平賀源内の遺体を引き取った相棒・平秩東作(木村了)の男気あふれる生涯【大河べらぼう】

平賀源内(安田 顕)の相棒であり戯作者・狂歌師

内藤新宿の煙草屋を営む一方、炭焼きや材木商などさまざまな事業を手がける「山師」であり、平賀源内の商売仲間。戯作者・狂歌師といった顔も持ち、大田南畝とも親交を持つ。源内の死後、田沼意次(渡辺 謙)の政策に深くかかわるようになり、意次の蝦夷地開発のきっかけをつくることになる。

※NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」公式サイトより。

平賀源内の相方として彼に振り回されることの多い平秩東作(へづつ とうさく)。果たして彼は何者で、これからどんな活躍をするのでしょうか。

今回は木村了が演じる平秩東作を紹介。その人生をたどってみたいと思います。

※合わせて読みたい記事↓

【大河べらぼう】げにありがたき白眉毛の死因は?次の西ノ丸は誰に?ほか…4月13日放送の考察&レビュー

平秩東作の出自と本名

木村了演じる平秩東作。NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」公式サイトより。

平秩東作は享保11年(1726年)3月28日、内藤新宿で馬借を営んでいた稲毛屋金右衛門(いなげや きんゑもん。元尾州藩士)の子として誕生しました。

本名は立松懐之(たてまつ かねゆき)、幼名は八十郎(はちじゅうろう)、後に八右衛門(はちゑもん)と改名します(父の金右衛門から右衛門を襲名したのでしょうか)。

成人して字(あざな。中国風の通称)を子玉(しぎょく)、また東蒙山(とうもうざん)や嘉穂庵(かすいあん)と号します。

まったくいっぱい名前がありますが、有名な平秩東作とは戯号(げごう)で、戯作者として活動する時に名乗りました。

※以下煩雑を避けるため、平秩東作で統一しましょう。

スパイ活動の経験も

平秩東作は利発な子として知られ、10歳ごろから和漢の学問を修めるようになりました。

同じ頃に父が亡くなりますが、逆境にも挫けることなく14歳で父の屋号と煙草商を引き継ぎます。

大田南畝(おおた なんぽ)や平賀源内と交流を持ち、その関係は生涯にわたって続きました。

そんな平秩東作は明和2年(1765年)、スパイとして浄土真宗の秘密結社に潜入するミッションを受けたことがあります。

偽装信者となって教団の内情を探り、一味の陰謀を通報。当局の一斉捜索を手引きしましたが、あまりに偽装が上手すぎたせいか、当局に捕縛されてしまったのでした。

厳しい詮議を受けた末に何とか疑いは晴れ、褒美として銀3枚を頂戴したそうです。

源内の死後、蝦夷地へ

当時、多くの人々が惹かれた蝦夷地のアイヌ文化(イメージ)

平秩東作は狂歌にも才覚をあらわし、明和6年(1769年)に唐衣橘洲(からごろも きっしゅう)が主催する狂歌会に参加。後には自身が中心となって狂歌アンソロジー『百鬼夜狂』を刊行するに至ります。

また安永2年(1773年)から翌安永3年(1774年)にかけて伊豆の天城山で炭焼き事業を手がけ、安永4年(1775年)には材木商を営みました。

次から次へと忙しい限りですが、いずれも軌道に乗ったのでしょうか。

そんな中でも平賀源内との関係は続きました。安永8年(1780年)に源内が獄死した際は、当局から睨まれるのを覚悟の上でその遺体を引き取ったと言います。

やがて天明3年(1783年)から天明4年(1784年)にかけて蝦夷地へ渡り、松前と江差に滞在した記録を『東遊記』にまとめました。

アイヌの風俗や蝦夷地の風土産物を紹介したことで評判となり、幕府が2度にわたる蝦夷地調査を行うキッカケになったと言います。

急度叱を受けた理由は?

蝦夷地から戻った平秩東作は相変わらず仕事に狂歌に忙しい日々を送っていました。

そんな天明6年(1786年)、幕府で勘定組頭を務めていた土山宗次郎(つちやま そうじろう)が公金横領の罪で失脚。逃亡していたところを、平秩東作は匿ってやります。

「何だって、公金に手をつけるなんてしたんだよ」

「誰袖(たがそで)を1,200両で身請けしたんだ。その身代金さ」

吉原遊廓でも当代一と誉れ高い大文字屋の誰袖(たがそで。劇中での役名は”かをり”)。現代の貨幣価値に直すと約1億2千万円(所説あり)という巨額の身請けでした。

そんな金で身請けしたって、彼女を幸せに出来るはずがない……果たして宗次郎は捕らわれ、斬首されてしまいます。

匿ってやった平秩東作も急度叱(きっとしかり。厳重注意)を受けたのでした。

エピローグ

『古今狂歌袋』より、平秩東作。五尺に足りぬ小男で、眼鏡をかけていた模様。

急度叱を受けたことで意気消沈してしまったのか、平秩東作はあれほど情熱を燃やしていた狂歌界から身を引きます。

仲間に迷惑がかかることを恐れたのか、あるいは仲間たちから疎まれたのかも知れません。

そして寛政元年(1789年)3月8日、64歳で世を去りました。

若いころから危険なスパイ活動を買って出たり、罪人とされた源内の遺体を引き取ったり、土山宗次郎を匿ったり……男気ある人物でしたが、多くの者が平秩東作の死を惜しんだことでしょう。

終わりに

今回は平賀源内の相棒である平秩東作について、その生涯をたどってきました。

マルチな才能を世に現わそうと奔走し、蝦夷地まで渡ってしまうフットワークはついに幕府を動かすまでに至ります。

また危険なスパイ活動に名乗りを上げたり、平賀源内の遺体を引き取ったりなど、男気あふれる人物でした。

(犯罪者を匿うのはいけませんが、彼にも考えがあったのでしょう)

果たしてNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」では、どのような生き様が描かれるのか、これからも楽しみにしています!

※参考文献:

井上隆明『平秩東作と周辺』日本近世文学会、1990年 岡本勝ら編『近世文学研究事典』おうふう、2006年2月 賀川隆行『日本の歴史11 崩れゆく鎖国』集英社、1992年7月

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

「この生き様、どう描く!?平賀源内の遺体を引き取った相棒・平秩東作(木村了)の男気あふれる生涯【大河べらぼう】」のページです。デイリーニュースオンラインは、誰袖立松懐之稲毛屋金右衛門唐衣橘洲蝦夷地カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る