大河『べらぼう』に登場!天明狂歌の立役者・元木網(ジェームス小野田)とは何者?その生涯をたどる (2/3ページ)

Japaaan

本名は渡辺正雄(わたなべ まさお/まさかつ)、元服して通称を平七と言います。

絵師の高嵩谷(こう すうこく)に弟子入りし、画号を高嵩松(こう すうしょう)と名乗りました。

元木網とは狂歌師としての狂号で、またの名を落栗庵(おちぐりあん)とも言います。※以下「元木網」で統一。

絵師・狂歌師としての他にも大野屋喜三郎(おおのや きさぶろう)の屋号を掲げ、江戸の京橋北紺屋町(東京都中央区)で湯屋を経営していました。

やがて智恵内子(ちえの ないし。本名は内田すめ)と結婚。娘に幾地内子(いくじの ないし)を授かった他、宝暦13年(1763年)に夭折した娘(生母不詳)の存在が確認されています。

天明狂歌界を牽引

天明狂歌を主導した四方赤良(右)と朱楽菅江(左)。『古今狂歌袋』より

元木網が狂歌師として歌壇に加わったのは明和6年(1769年)ごろ、妻の智恵内子と共に落栗連を主宰しました。

蜀山人(しょくさんじん。大田南畝)らと共に活躍しますが、自身は天明元年(1781年)に引退。

「大河『べらぼう』に登場!天明狂歌の立役者・元木網(ジェームス小野田)とは何者?その生涯をたどる」のページです。デイリーニュースオンラインは、高嵩松馬場金埒文々舎蟹子丸北静盧智恵内子カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る