北条早雲の“成り上がり伝説”はウソだった!?最新研究で明らかになった北条氏の出自と統治の秘訣 (3/4ページ)
これらは、関東を支配した北条氏が、本拠の中枢に独自の審美眼に基づく庭を造作したことを物語っています。
近年、小田原の発掘では、北条時代に武家の宴会で京都の影響を受けた「かわらけ」と呼ばれる焼き物が使われたことや、京都を模すように正方位を意識した都市計画が行われたらしいことも分かっています。
おそらく、「京都」というブランド力を利用して独自の価値観を創出することで、本拠地を地域の中で秀でた存在として見えるようにし、力を誇示したのでしょう。
「小田原評定」の再評価も5代で約100年にわたった北条氏の治世は、民政重視だったことも改めて注目されています。
例えば五公五民だった年貢率を四公六民に軽減し、裁判制度を整え、水道や伝馬の整備に力を入れて商工業を発展させました。
そうした政策方針の象徴となるのが、北条氏が用いた印判です。虎の絵の下に「禄寿応穏」の文字があり、これは「(民の)禄寿(財産・命)まさに穏やかなるべし」という意味に読めます。
織田信長の「天下布武」とは対照的と言ってもいいでしょう。
また豊臣秀吉の小田原攻めを前に、和戦を巡って延々議論したとされる小田原評定は、後世は結論の出ない会議の代名詞になりました。しかし、それも江戸期の書物の影響が大きいようです。