北条早雲の“成り上がり伝説”はウソだった!?最新研究で明らかになった北条氏の出自と統治の秘訣 (4/4ページ)
北条氏は当主の独断でなく評定衆と呼ばれる重臣の合議で重要事項を決める、戦国大名の中では珍しく民主的な仕組みを持っていました。小田原評定はそうした民主的な手続きの象徴だったと言えるでしょう。
当主の独断よりも、より多くの人の考えや生命を重んじる考え方は、戦にも表れています。
秀吉との対決を控えた時は、小田原では城下町を総延長約9キロの堀と塀で囲む総構が築かれました。それ以前も上杉謙信、武田信玄を籠城戦で撃退したことはありましたが、その頃には総構はまだ存在していなかったのです。
これについては、城の外で焼き打ちや略奪を受けたことで、北条が悔いを残したのだと思われます。それで秀吉相手に籠城するにあたり、東国一の都市と領民を守る意識で、巨大な総構を築いたのでしょう。
早雲から始まる北条氏の統治については、このように現在も新しい視点からの研究が進んでいます。
参考資料:
中央公論新社『歴史と人物20-再発見!日本史最新研究が明かす「意外な真実」』宝島社(2024/10/7)
画像:photoAC,Wikipedia
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan