無実ゆえの切腹!?妻子ら30余人が公開処刑、謎に包まれた戦国武将・豊臣秀次の切腹の真相 (3/4ページ)
京都御所の湯殿で天皇に近侍する女官が交代で記した『御湯殿上日記』によると、「無実だからこのようになった」という情報が朝廷に届いていたというのです。
無実だから切腹する、というのは奇妙に感じられるかも知れません。
しかし中世には、死罪としての切腹以外に、自らの潔白を主張する究極の訴願としての切腹もありました。秀次は命をもって潔白を訴えたと考えられるのです。
秀次と秀吉の間に亀裂が入っていたのは確かで、この一連の出来事の前に石田三成らは秀次を謀反の疑いで詰問しています。
釈明のために伏見城に赴いた秀次ですが、秀吉の不機嫌な姿に接し、謝罪の意を示して自らの意志で高野山に入ったのではないかと推測する研究者もいます。
そして秀次の行動を受けて、軟禁を命ずる朱印状が追って発給された可能性があるのです。
切腹した秀次が無実だったとなると、政権の動揺は避けられません。そこで秀吉らは秀次に罪ありと宣伝して、妻子ら30人余りを公開処刑したのです。
三条河原で処刑された秀次一族の法名を記した名簿(Wikipediaより)
さらに聚楽第も破却することで事件に決着をつけた、と考えられます。
この新説は2016年のNHK大河ドラマ『真田丸』でも採用され、広く知られることとなりました。