【実在人物】病に倒れた”カボチャの旦那”こと大文字屋市兵衛(伊藤淳史)の生涯[大河べらぼう] (4/5ページ)
「自分はかつて明和の大火で焼け出された折、浅草見附の外に別宅を購入している。だから前例はある」
しかし残念ながら、必死の訴えは退けられてしまいました。あくまで「神田での前例がない」ことが争点だったのでしょう。
訴えが退けられたのみならず、町奉行所から「遊女屋は四民(士農工商)の外で、穢多(えた。非人)に準ずる存在である。江戸市中に屋敷を求めるとは不届き千万」などといった理由で、急度叱(きっとしかり。厳重注意)に処せられてしまいました。
加えて町奉行所は吉原遊廓の忘八連中に「今後、江戸市中に屋敷を求めない」旨の誓約書を提出させたそうです。
まったくもって理不尽極まりない話ながら、基本的人権など認められていない時代のこと。忘八連中は涙をのむよりありませんでした。
そんなことがあって、安永9年(1780年)11月6日に世を去ります。享年ははっきりしませんが、60余歳(おおむね60〜64歳)とのことですから、遡って生年は正徳5年(1715年)ごろと考えられるでしょう。
法名は釈仏妙加保信士(しゃくぶつみょうかぼしんし)。よほどカボチャが好きだったのでしょうか。
終わりに