悲劇の指揮官…中国友好を望むもA級戦犯として処刑された日本陸軍・土肥原賢二がたどった運命 (3/3ページ)
その後は、地方軍閥を中国政府から離反させる工作に従事し、1935年6月には「土肥原・秦徳純(しんとくじゅん)協定」を締結します。この協定により、河北省に冀東(きとう)防共自治政府が成立しました。
しかし終戦後、A級戦犯として土肥原は逮捕され、東京裁判で死刑判決を受けることになります。
そこで土肥原の極刑を強く求めたのは、皮肉なことに土肥原が友好を望んでいた中国でした。彼は一貫して日中親善を信念としながらも、日本の対中政策の尖兵となった悲劇の指揮官と言えるでしょう。
参考資料:別冊宝島編集部『日本の軍人伝説の指揮官に学ぶリーダーの条件』(2024)
画像:photoAC,Wikipedia
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