不器用な男の末路!幕末「新選組」の中で唯一、女性問題で切腹した組長・松原忠司の不可解な最期 (4/5ページ)

Japaaan

八月十八日の政変の際に山南敬助が自分の鎧がないことに対して怒っている時に忠司が宥めたという話があるくらい非常に温厚な人物でした。

その後の元治元年(1864)の池田屋事件では土方歳三の隊に所属し武功を挙げました。続く禁門の変では天王山に潜伏する長州勢の追討を行うため、天王山攻略に随行しました。

土方歳三/Wikipediaより

数々の戦いで実力を見せた忠司は慶応元年(1865)3月の西本願寺移転による隊編成で4番隊組長と柔術師範頭に任命されました。

死因はとある女性との心中だった…

慶応元年(1865)3月に組長に任命された忠司でしたが、その年の6月には平隊士に降格しています。この原因は諸説ありますが、特に有名なのが女性との心中です。

これは酒に酔った忠司が浪人と口論になり殺害した浪人の妻の面倒を見ていることを上層部に見つかってしまうという内容です。そのことで責任を取る形で切腹をした忠司でしたが、運悪く切腹できずに生き残ってしまいます。

生き残っても上層部の信頼を失った忠司は平隊士に降格してしまい、ついには慶応元年(1865)の9月に浪人の妻と共に心中してしまいます。これは「壬生心中」と呼ばれています。

他にも未遂でしたが、無断で訴訟に介入しようとして成功報酬を貰おうとしていることを上層部に疑われて切腹しましたが、生き残りその傷が原因で病死したなどあり、非常に謎な死を迎えています。

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