幕末に“左利きの剣士”として無双!江戸の剣術界を震撼させた若き剣豪・大石種次の伝説 (3/4ページ)

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こうして種次は自身で編み出した技と流派を大石神影流と称しました。この時、種次はまだ18歳でした。

九州から江戸へ名剣士たちと勝負!

文政5年(1822)に大石神影流の免許皆伝を受けた種次はまず豊前中津藩(現在の大分県)の長沼無双右衛門を打ち負かします。その後は九州各地から門下生がこぞってきてしまう事態となります。

天保3年(1832)には藩の命令で江戸へ行きます。

江戸でも7尺(約2m10㎝)の長身と5尺3寸(約160㎝)の長竹刀の種次の強さは凄まじく北辰一刀流の創始者、千葉周作でさえ樽の蓋を竹刀の鍔にした状態で辛うじて引き分けに持ち込ませたくらいです。

千葉周作/Wikipediaより

しかし、そんな種次でも唯一白井亨には敵いませんでした。

翌年にまた江戸に来ると今度は天保の三剣豪の1人である男谷信友(おたにのぶとも)と試合をします。種次はこの時、左肘を曲げて水平に構える得意の左片手突きで信友に2勝1敗で勝利します。

この試合は勝海舟からは「御一新(明治維新)以上の大騒ぎ」と言われます。その後は長竹刀が流行し、天保10年(1839)に再度江戸に来ると種次の名を聞きつけた旗本や諸藩の武士たちが入門する事態となり、江戸の各道場は恐慌を起こしてしまいました。

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