なんと日本初のキリシタンは海賊だった!”天使”の異名を持つ男「ヤジロウ」がザビエルと共に歩んだ生涯 (4/6ページ)
やがて天文17年(1548年)11月にゴアの宣教監督となったザビエルは、ヤジロウに日本における布教の可能性を諮問します。
「日本人は温厚で善良ですから、きっとデウスの教えを受け入れるでしょう(意訳)」
ヤジロウの助言に基づき、ザビエルは日本での布教を決断。翌天文18年(1549年)4月15日にゴアを出航、日本を目指しました。
薩摩に上陸したザビエル宣教団
布教活動に励むザビエル(イメージ。画像:Wikipedia)
ジャンク船に乗り込んだ宣教団のメンバーは以下の通り。
ザビエル コスメ・デ・トーレス(イエズス会神父) フアン・フェルナンデス(同修道士) マヌエル(明人) アマドール(インド人)そしてヤジロウと日本人2名(姓名不詳)、計8名です。
宣教団の一行は明国の上川島(広東省江門市台山)を経て、薩摩半島の坊津に上陸しました。約4ヶ月の航海は、彼らにとって大きな試練となったことでしょう。
天文18年(1549年)9月には伊集院城で戦国大名の島津貴久(しまづ たかひさ)と謁見。布教の許可を得ました。
薩摩での布教中、ザビエルは好んで忍室文勝(にんしつもんしょう。福昌寺住職)ら仏教徒と宗教論争を挑んだと言います。