なんと日本初のキリシタンは海賊だった!”天使”の異名を持つ男「ヤジロウ」がザビエルと共に歩んだ生涯 (5/6ページ)

Japaaan

お互いの信仰を尊重する姿勢はなかったよう(それが一神教というもの)で、当初は好意的であった島津貴久も、次第にキリスト禁教へと傾いていきました。

少しやり過ぎたと思ったか、ザビエルは「上洛する」という名目で薩摩を離れます。

ヤジロウもザビエルに従って薩摩を離れ、各地で布教活動に勤しみました。

故郷に留まるよりも信仰を選んだのか、あるいは前科ゆえに居心地が悪かったのかも知れませんね。

約2年にわたる日本での布教活動

日本を去るザビエルたち(イメージ)「唐船・南蛮船図屏風」より

その後ザビエルはおよそ2年間にわたって各地で布教活動を展開します。今回はダイジェストでお送りしましょう。

天文19年(1550年)

肥前国平戸で布教 周防国山口で無許可布教

天文20年(1551年)

京都で布教、挫折して平戸へ戻る 山口で再布教、大道寺を拠点に 豊後国で布教、大友義鎮に保護される

日本での布教が徐々に実を結び始めていましたが、ザビエルはインドからの連絡がないことを気にしていたようです。

そこで天文20年(1551年)11月15日、ザビエルはインドを視察するため、一度日本を離れることにしました。

「なんと日本初のキリシタンは海賊だった!”天使”の異名を持つ男「ヤジロウ」がザビエルと共に歩んだ生涯」のページです。デイリーニュースオンラインは、忍室文勝島津貴久マテオルイス・フロイスヤジロウカルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る