誤解されすぎた御用人…徳川綱吉の側近・柳沢吉保が悪役にされた理由と「忠臣」としての活躍【後編】 (2/3ページ)

Japaaan

甲府市の資料などによると、吉保は甲府藩主としても領民に慕われていました。領地で検地を行った際、石高が増えた分を一定割合で領民に分け与えており、武士だけではなく藩全体が豊かになるよう考えていたのです。

悪名の由来

吉保の悪名の由来としてよく挙げられるのが、綱吉が制定し庶民を苦しめた悪法で知られる生類憐みの令を肯定したことです。

江戸時代の悪名高き「生類憐みの令」は社会福祉策の一環だった!?暗君・徳川綱吉が本当に目指したもの

生類憐みの令にまつわる中野区のモニュメント

息子の吉里への教訓書で、吉保は「虫は「はう」ではなく『歩む』、犬は「吠える」ではなく「鳴く」と言うように」などと教えています。

さすがに、綱吉の忠実な家臣ではあったとはいえ、動物に人間並みの扱いを求めたのは無茶だったと言えるでしょう。

また、主君の仇討ちを果たした赤穂浪士に対し、厳しい処罰を下した黒幕とされているのも悪名を高めた要因とされています。これについて、吉保は討ち入りをした浪士を切腹処分とするよう綱吉に進言したと伝わっています。

「誤解されすぎた御用人…徳川綱吉の側近・柳沢吉保が悪役にされた理由と「忠臣」としての活躍【後編】」のページです。デイリーニュースオンラインは、忠臣御用人柳沢吉保徳川綱吉江戸時代カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る