日本最古の”怨霊”!悲劇の皇族「長屋王」の呪いは現代にも残り続けている…? (2/3ページ)

Japaaan

さらに藤原不比等が亡くなると、そのポジションを引き継ぐほどの権力を持つようになりました。しかし、この出世をよく思わなかったのが、藤原不比等の息子たち・藤原四兄弟です。

藤原四兄弟は自分たちが権力を持つために妹を皇后にさせようとしますが、これに反対したのが長屋王でした。

家族と共に自害に追い込まれる長屋王

天皇は複数の配偶者を持ち、中でも皇后は特別な存在。しかし、皇后になるには相応しい身分が必要でしたが、藤原氏は皇后を出せるような家柄ではありません。そういった政治のゴタゴタから、「長屋王の変」が起こります。

神亀6年(729年)、下級の官僚によって、「長屋王が妖術によって国家転覆を狙っている」との密告がありました。

長屋王は弁明する機会もなく、家族と共に自害してしまいます。この自害は強要によるものなのか、自ら進んで実行したのかは分かっていません。

この事件を「長屋王の変」と呼びます。その後、妹を皇后に立てて権力を持った藤原四兄弟。しかし、藤原四兄弟の栄華は思いのほか早く終わりを迎えます。

怨霊となった長屋王による呪いが渦巻くように

長屋王が自害した後、天平7年(735年)に疫病が流行するようになり、天平9年(737年)には藤原四兄弟が相次いで病気で亡くなったのです。この出来事をきっかけにして、長屋王の祟りではないかと囁かれるように。

天皇は神仏に祈りを捧げ、生き残った長屋王の子女たちに位を与えるなどの措置を行っています。このことからも、祟りが存在すると当時の人たちは信じていたのでしょう。

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