宅飲み、居酒屋のルーツは江戸時代に!現代人よりも酒を飲んでいた江戸の「酒文化」の実態【前編】
居酒屋・屋台が大繁盛
江戸時代になって戦乱の世が遠のき、社会が落ち着いてくると、江戸では飲酒の習慣が広がり始めました。今回は前編・後編に分けて、江戸時代の「酒文化」の実態について解説します。
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もちろんお酒は古代から存在していましたが、庶民が家で気軽に楽しむようになったのは、江戸時代が最初だったのです。
また、外で飲むほか、家での晩酌も盛んになりました。酒屋で少量から酒を買うことが可能になったからです。
そして晩酌が一般化すると、当然、おつまみにこだわる人も増えます。そのニーズに応える形で、肴も多彩になっていきました。
江戸の町では売り物を天秤棒から下げたり担いだりした振り売りが行き交い、3月の桜鯛、5月のなす、10月のさんまなど、季節の魚や野菜を家のそばまで売りに来ました。
また夕鰺売りからは夕方あがった新鮮な鰺が買えましたし、おでん燗酒売りからは、熱燗も買うことができたのです。
さらに屋台も充実しており、煮しめや天ぷらなどを販売。竹の皮に包んで持ち帰れたことから、仕事帰りに買い物支度がなくてもテイクアウトの肴が調達可能だったのです。
「飲酒文化」の完成晩酌文化が花開いたのには、ほかにもいくつかの要因が考えられます。
まずは、酒が大量に出回り、小売りが盛んになった点です。おかげで人々は日銭で量り売りで買えるようになったのです。
お酒は、伊丹や池田、後に灘など関西の産地から、菱垣廻船や樽廻船によって大量に江戸へ運ばれました。
菜種や綿の実などから採った油が普及したことも大きかったでしょう。あんどんの明かりで、人々は夜の時間を活用しやすくなりました。
その一方で、町中あちこちに設けられた木戸は夜には閉じられたことから、夜間は往来が自由ではありませんでした。今の人たちが感じる以上に、江戸っ子たちは家で晩酌して過ごす「宅飲み」の時間を大切にしていたに違いありません。
現在の一般的な酒とのつきあい方の原型は、江戸の町でできあがったと言えるでしょう。
大量出土する「とっくり」江戸の晩酌の様相は、東京の遺跡で出土している大量のとっくりの分析からも窺い知れます。
江戸後期の遺跡では、出土する焼き物の3~5割以上がとっくりで、一度に数十本から数百本も出ることすらあります。これだけの集中出土は、江戸以外にはありません。
こららの大量のとっくりを分析すると、おおむね1升(10合)、5合、2合半の3種類に分けられることが分かっています。
時代ごとの傾向も追っていくと、酒を商うためのとっくりが出土し始めるのは17世紀の終わり、つまり元禄の頃であることがはっきりしてきました。
それまでは、酒と言えば武家の儀礼や宴席など特別な場で飲まれ、大きな樽で売り買いされていたものでした。しかしそれが、とっくりで小売りされるようになったのでしょう。
出土量は、18世紀後半の明和~天明の頃に急増します。この時期はさまざまな豆腐料理を紹介して評判を呼んだ『豆腐百珍』を始め、盛んに料理本が刊行された時期とも重なります。
庶民も食を楽しむゆとりができ、日常の晩酌習慣も発達したのでしょう。
【後編】では、このとっくりの分析と、柳田国男による研究などもご紹介します。
参考資料:
中央公論新社『歴史と人物20-再発見!日本史最新研究が明かす「意外な真実」』宝島社(2024/10/7)
画像:Wikipedia
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