「べらぼう」吉原遊郭を仕切る楼主(忘八)は差別対象!なかには自殺してしまった楼主も… (2/4ページ)
なかには差別される経験が身に染みて自殺してしまった楼主もいたとか。
江戸時代、遊女は流行の最先端だったので、一般の女性たちから注目されていました。
人気の遊女になると歌舞伎で演じられたり浮世絵に描かれたりするようになるので、遊郭にかかわりのない市民でも彼女たちの存在は身近だったのです。
実際に人気遊女・勝山から発信されて流行となり、既婚女性が結う定番の女髷になった「勝山髷」という髪形もあります。このように、流行の発信地としての役割を担っていた遊女は注目の的だったのです。
元遊女が結婚することは普通だったただし、やはり遊女の労働環境は過酷であり、人身売買が禁止されていたとはいえ、実際には身売りによって遊女の売買が行われていました。
ほとんどが貧しさゆえ親に売られてしまった少女たちだったため、遊女は「家族のためにその身を犠牲にした孝行者である」と認知されていたのです。