「大江戸八百八町」はウソ!?超巨大都市・江戸は行政区分や町奉行の管轄もめちゃくちゃだった (2/4ページ)
町奉行所は江戸市中の民政の一切を司り、行政・司法・警察を兼ねる重要なポジションでしたが、寺社地や武家地には町奉行所不可人の原則があり権限が及びませんでした。
そのため、「町奉行所の管轄区域=江戸の範囲」というわけではなかったのです。
江戸の町人地で起きた御用や訴訟は町奉行が、幕府の直轄領で起きた訴訟は勘定奉行が、寺社と関八州以外の私領の訴訟は寺社奉行所が担当しました。
これら三奉行は、幕府の最高裁判機関である評定所に列席して合議に加わっています。
『鬼平犯科帳』でも長谷川平蔵が、火盗改の権限の範囲を超える案件を「御仕置伺い」として老中に提出し、三奉行などが話し合って判決を決めるシーンがたびたび描かれていますね。
「朱引」によって確定都市化が進む江戸の街に対して、三奉行の組織の基本構造に変化はありませんでした。
そのため、江戸の範囲=管轄エリアについての解釈はさまざまで、行政上の支障をきたすようになります。
そこで文政元年(1818)8月、目付の牧野助右衛門から、「御府内外境筋之儀」についての伺いが出されました。
同年12月、老中の阿部正精は幕府の公式見解として、江戸の絵図に赤い線を引いて(朱引)、江戸の行政範囲を確定させます。