「大江戸八百八町」はウソ!?超巨大都市・江戸は行政区分や町奉行の管轄もめちゃくちゃだった (3/4ページ)
これによって、北は荒川・石神井川の下流(千住・板橋周辺)、東は中川(平井・亀戸周辺)、西は神田上水(代々木・角筈周辺)、南は南品川宿を含む目黒川(品川周辺)までが、江戸の御府内に定められました。
現在の行政区画でいえば、千代田区・中央区・港区・文京区・台東区のほぼ全域、新宿区や江東区、品川区、北区、豊島区、墨田区、渋谷区、板橋区、荒川区は一部までが江戸の範囲内だったのです。
これが幕府開設以来初めて正式に示された江戸の範囲で、内側は「朱引内」、外側は「朱引外」とも呼ばれました。
明治維新後の明治2年(1869)には新たな朱引が定められ、内側を「市街地」、外側を「郷村地」とされます。これは、明治11年(1878)の郡区町村編制法の施行まで続きました。
3万件が後回しでは、町奉行の管轄範囲が最大化した19世紀初頭には、当の町奉行はどれだけの案件を抱えていたのでしょうか。