実は”敗者の旧幕臣”が支えていた明治政府!能力の高さから重用された名もなきノンキャリア組の実態に迫る【前編】 (2/3ページ)

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幕府瓦解後に徳川宗家が移封された静岡藩には、特に優秀な旧幕臣の人材が集まっていました。明治政府の官僚名簿には、大久保利通ら首脳に見いだされて名を連ねた者も少なくありませんでした。

北海道のような地方でも、行政機能維持のために中・下級の旧幕臣が「ノンキャリア」として登用されています。

「御恩」をもって静岡へ

幕府が瓦解した後は、新政府に帰順した者や帰農・帰商した者がいる一方で、前述のとおり多くの人材が静岡藩に移封された徳川宗家に従っています。

古くから幕府の臣下だった高禄の旗本たちよりも、幕末期に能力が認められて新たに登用された新参の家臣たちの方が、徳川への「御恩」をもって静岡に下向する傾向が強かったようです。

明治3年(1870年)に出来た海軍兵学寮の教職員も、幕府の長崎海軍伝習所で学び、勝海舟とともに咸臨丸で渡米した旧幕臣が多くを占めていました。

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