実は「敗者」が日本を動かした!旧幕臣が支えた明治政府、重用された名もなきノンキャリア組の実態【後編】 (3/4ページ)
幕府軍と新政府軍の最後の戦いとなる箱館戦争を経て、新政府の統治機関となった開拓使にも多くの中・下級の旧幕臣が実務官僚として再任用されています。
そこには、北海道の行政機能を維持する目的があったのです。
興味深いのは、明治10年前後、箱館奉行所関係者が大量退職したことです。これはおそらく官僚機構が確立したことを示しています。
明治5年以降、開拓使を含め、新政府の各機関は職員養成制度を完備しました。これにより、無名の旧幕臣と江戸時代以来の世襲に頼る必要がなくなったのでしょう。
維新の改革が軌道に乗るにつれ、行政機能を維持する目的のノンキャリアではなく、近代化政策の推進に必要なキャリアの旧幕臣が選ばれるようになったのです。
キャリアの旧幕臣には後世に名を残す者も多いですが、維新の草創期を支えた、こうした無名の旧幕臣の存在も多かったのです。
「二君に仕えず」の建前ちなみに、こうした旧幕臣は、本来は「敵」であるはずの明治新政府に仕えることについてどう思っていたのでしょうか。
自分自身も旧幕臣だった福沢諭吉が、かつては幕府の要職にありながら新政府の高官に就いた勝海舟や榎本武揚のような人物を「我慢の説」で批判したのは有名です。
ここでは渋沢栄一の例を見てみましょう。