実は「敗者」が日本を動かした!旧幕臣が支えた明治政府、重用された名もなきノンキャリア組の実態【後編】 (4/4ページ)
渋沢は武士ではなく、藍の生産を手がけた血洗島(埼玉県深谷市)の農家の出身です。尊王攘夷思想の影響も受けましたが、後に郷里を出て一橋慶喜に仕えました。
慶喜の15代将軍就任によって幕臣となり、幕府のパリ使節団にも参加。維新後は静岡藩を経て、新政府の招きで民部省・大蔵省で国づくりに関わったのはご存じの通りです。
そして官僚を辞した後は、民間経済人として企業の創設・育成に尽力しました。
こうした経歴について、渋沢は晩年こう回想しています。
「新政府は薩長の政府だからこれに仕へる事は二君に仕へる事に外ならぬと云ふやうな考を持つて居つた人もあつた。(中略)けれども十中八九の人々は、新政府にいい地位を得度いとの望を抱いてをつたやうに思ふ」。
渋沢の指摘通り「武士は二君に仕えず」という建前に揺れながら、旧幕臣は維新の世にそれぞれの道を歩んでいたのです。
参考資料:
中央公論新社『歴史と人物20-再発見!日本史最新研究が明かす「意外な真実」』宝島社(2024/10/7)
画像:photoAC
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