実は大バクチだった!大久保利通らが仕掛けた合法クーデター「廃藩置県」の意外な実態【前編】 (2/3ページ)

Japaaan

※合わせて読みたいおすすめ記事

目まぐるしい!神奈川県が廃藩置県から現代の形になるまでの歴史

既定路線ではなかった

明治維新における最大の変革は、明治4年(1871年)7月11日に断行された廃藩置県だったと言えるでしょう。

独自の統治機構と軍事力を持っていた全国261藩が廃止されて政府直轄の県となり、旧藩主(知藩事)は職を解かれ東京転居を命じられました。

ここに天皇を中心とする中央集権体制が確立し、学制や徴兵令、地租改正といった全国均一の政策が可能になったのです。

新政府を主導する大久保利通や木戸孝允らにとって、西欧列強に対抗できる強力な近代国家を樹立することは、王政復古当初からの目標でした。

桂小五郎(のちの木戸孝允)の像

このため、今までは、廃藩は最初から政府の既定路線であったかのように考えられてきました。

しかし近年の研究では、なんと当時の7月初めまではあくまで藩の存続を前提としており、その統制を強めていく方針だったことが明らかになっています。

「実は大バクチだった!大久保利通らが仕掛けた合法クーデター「廃藩置県」の意外な実態【前編】」のページです。デイリーニュースオンラインは、廃藩置県木戸孝允大久保利通明治維新明治時代カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る