悪名高い”開拓使官有物払い下げ事件”の真相!五代友厚の名誉を取り戻した“幻の史料”とは?【後編】 (3/3ページ)

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深谷駅前の渋沢栄一像

例えば1878年には渋沢が東京株式取引所を、そして五代が大阪株式取引所を設立しました。

また渋沢が一橋大の前身である商法講習所の設立に携わり、五代も大阪市立大につながる大阪商業講習所の設立に関わるなど、各分野で共通する歩みもみられます。

両者の直接的な交流は、五代が手がけた国産の藍の生産に渋沢が協力したことが挙げられます。

渋沢は血洗島村(埼玉県深谷市)の豪農に生まれ、幼少期に藍玉の取引で才覚を発揮したこともあり、親戚を五代に紹介するなど支援を惜しまなかったといいます。

一方、渋沢による五代の人物評には、鉱山事業で財をなした五代に「考えが浅薄」「利己的」など、厳しい評価もみられます。

農民出身で「官尊民卑」の打破を掲げる渋沢と、薩摩藩の武士だった五代の間には価値観の違いもあったようです。

参考資料:中央公論新社『歴史と人物20-再発見!日本史最新研究が明かす「意外な真実」』宝島社(2024/10/7)
画像:photoAC,Wikipedia

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