江戸時代、女性はなぜここまで虐げられた?吉原遊女の実態をジェンダー史で読み解く (4/5ページ)

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約200軒の見世があり、狭い地域に3000~4000人の遊女が集住していたといいます。

過酷な遊女の世界

吉原の遊女は浮世絵の題材となるなど、華やかな面が強調されますが、実態は過酷な環境にありました。

遊女は十年の年季奉公の間、経営者に「仕置」という暴力で支配されました。

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また、途中で性病や肺病で亡くなる例も多く、よく落語などで出てくるような身請けが行われたのはごく少数だったのです。

遊女は、口入れ業の仲介で全国の農村から人身売買される例が多かったようです。

幼女の段階で売られると、十五歳頃までは禿という見習いを務め、水揚げ(初体験の儀式)を経て遊女となりました。年季の十年はそこからカウントされます。

新吉原花園池跡・遊女の墓

遊郭からの上納金は多額で、幕末には江戸町奉行所の収入の一割を超えたといわれており、これは各藩も同様でした。

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