片腕の志士・伊庭八郎と土方歳三の友情|幕末に散った親友二人の切ない運命とは (3/4ページ)
また、明治政府の目を恐れて「八郎」を「七郎」と改変しています
歳三はそんな八郎とどんな会話を交わしたでしょうか。多くの仲間の死を目の当たりにしてきた2人ですから、腕の事よりも生きて再会できた事を喜んだかもしれません。
しばらくして行われた箱館での入れ札(投票)により、歳三は陸軍奉行並、また八郎は隻腕ながらも遊撃隊隊長に抜擢されます。
ハンデを承知でもこの人に付いていきたいと思わせる八郎の技量と人柄が窺い知れます。
それぞれの最期
2人は別々に兵を率いて箱館の地で最後の戦いに挑みます。
そして八郎は木古内の戦いで胸を狙撃され、わずかに急所を逸れたものの重傷で病院に運ばれます。また、歳三は二股口を死守し連戦連勝を重ねながらも旧幕府軍全体の劣勢を挽回するには至らず、弁天台場でピンチを迎えた元新選組の仲間たちを助けに向かう途中で被弾します。
明治2年5月11日、土方歳三戦死。
写真:弁天台場 Wikipediaより
一方の八郎は病院で療養していましたが、傷はもはや手の施しようのないほど悪化していました。死期を悟った八郎はモルヒネを飲んで自決。明治2年5月12日、歳三の死の翌日の事でした。
埋葬地は特定されていませんが、旧幕府軍関係者の発言記録によると、旧友の2人は箱館の地で隣同士に埋葬されたといいます。