名刀「山姥切国広」は本当に山姥を斬っていた?所有者より有名になった伝説の理由とは (2/4ページ)
北条氏直像/Wikipediaより
天正18年(1590)の小田原征伐では北条方として戦ったため、敗北後は所領全てを失い、生涯浪人の身となります。しかし、子の宣景は徳川家の家臣、土井利勝に家老職として仕えています。
山姥切国広とは顕長が所有していた山姥切国広は実は山姥切長義の写しです。作者は日向国(現在の宮崎県)で伊東氏に仕えていた堀川国広です。
国広は伊東氏が滅亡すると諸国放浪を行い、天正18年(1590)の2月に顕長の命を受け山姥切国広を鍛刀します。
山姥切長義自体は天正14年(1586)に顕長が氏直から貰ったものであり、国広は山姥切長義を実用的にするために短く鍛え直していることと並行して山姥切国広を打ったと考えられています。
山姥切の号の由来山姥切の号の由来は諸説あり、1つは山姥切長義の写しだから山姥切国広と名付けたとする説です。
もう1つは実際に山姥を斬ったとする説です。