実は歌川国芳の画才は娘に受け継がれていた。幕末に女流絵師として活躍した2人の娘たちの生涯 (3/4ページ)

Japaaan

歌川国芳の次女・ヨシ

歌川芳女「五節句の内 三節の見立新材木町新乗物町」

次女のヨシは天保13年(1842年)に誕生、阿芳(およし)や芳子(よしこ)などとも呼ばれています。

姉と共に父の弟子となり、その画号は歌川芳女(よしじょ)と称しました。

姉と同じく嘉永(1848〜1854年)から文久(1861〜1864年)にかけて活動を展開しており、単独作品としては「五節句の内 三節の見立新材木町新乗物町(ごせっくのうち さんせつのみたて しんざいもくちょう しんのりものちょう)」のみが知られています。

成長して田中基英(たなか もとひで)を婿にとり、神田和泉町(千代田区)から横浜へ移住しました。

やがて文久元年(1861年)に父の国芳が世を去ると、夫の基英が井草家を継ぎます。

ヨシは一勇斎(いちゆうさい)、朝桜楼(ちょうおうろう)の画号を襲名。大坂町(中央区)へ移り住み、提灯屋を商いました。

明治6年(1873年)に国芳の13回忌となる追善供養を行い、門人たちと三囲神社(墨田区向島)に国芳の顕彰碑(一勇斎歌川先生墓表)を建立しています。

その後は没落したようで、明治28年(1895年)ごろには瀬戸楽焼の根掛玉(ねがけだま。

「実は歌川国芳の画才は娘に受け継がれていた。幕末に女流絵師として活躍した2人の娘たちの生涯」のページです。デイリーニュースオンラインは、歌川芳鳥女歌川芳女浮世絵師幕末歌川国芳カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る