【新選組】のお引越し!幕末、何度も引越していた新選組の知られざる屯所移転の理由と歴史 (2/4ページ)
新選組の異名である「壬生の狼」とは、彼らがこの地に屯所を構えていたことに由来している。
この壬生では、八木邸で局長の芹沢鴨が近藤勇ら試衛館組に暗殺され、前川邸では総長の山南敬助が切腹、池田屋事件の発端となった古高俊太郎の拷問が行われた。
京都市内中京区に現存する新選組屯所・旧前川邸(内部は非公開)
八木邸と前川邸は現存しており、八木邸は内部公開がされている。新選組が寝泊まりしていた当時から変わらない屋敷には、芹沢鴨暗殺の夜についた刀傷や芹沢が躓いた机などが残されており、まるで幕末から時が止まったような感覚に陥る。
大砲を撃ち鳴らし、養豚まで行った西本願寺屯所
姫路市の亀山本徳寺に移築された北集会所(Wikipediaより)
新選組は壬生を約2年間屯所としたが絶頂期に入り、隊士募集を行うと更に手狭になり、元治2年(1865)の春に西本願寺へ移転した。移転先が西本願寺となったのは、勤王派を援助していた同寺を内部から監視するためだったとされている。
新選組が屯所として利用していたのは、境内の北集会所と太鼓楼。