【新選組】のお引越し!幕末、何度も引越していた新選組の知られざる屯所移転の理由と歴史 (3/4ページ)

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北集会所は300畳もの広さがあったため、小部屋をたくさん造ったほか、本堂との間に竹矢来を組んで牢屋や処刑場まで建てた。

西本願寺に現存する太鼓楼

さらには、砲術訓練で大砲をぶっ放したり、医師の松本良順に豚肉や鶏肉を食べることを勧められたことから、豚まで飼い始めたりとやりたい放題。

結局、西本願寺側から境内からの立ち退きを条件に屯所の新築費が支払われ、2年で移転し(追い出され)た。

北集会所は明治6年(1873)に姫路市の亀山本徳寺に移築されたが、隊士がつけたとされる刀傷など建物自体はそのままに残されている。

最大規模の広さを誇った幻の不動堂村屯所

京都市下京区にある不動堂村屯所跡を示す石碑

西本願寺から支払われた費用で不動堂村に新しく建てたのが、最後の屯所だった。広大な敷地内には正門・大広間・客間・幹部と平隊士の部屋・厩、剣道場・一度に30人ほどが入れるような大風呂・台所などが設けられ、まるで大名屋敷のようだったという。

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