【べらぼう】なぜ佐野政言は田沼意知を斬ったのか?史実資料から実際の犯行の動機を解説 (3/4ページ)
一躍「世直し大明神」に
田沼意知(左。山城守の「山」が袖に書かれている)に斬りかかる佐野政言(手の刀が扇に描き替えられている)。国立国会図書館蔵
私怨から犯行に及び、非業の死を遂げた政言ですが、田沼政権に嫌気が差していた人々からは「世直し大明神」「佐野大明神」などと持て囃されました。
当時高止まりだった米の相場が下がったことなどが理由と言われます。ただし米相場の落ち着きは幕府の施策によるものであり、今回の刃傷事件とは関係がありません。
それでも人々は政言の「義挙」と非業の最期に同情し、墓がある浅草徳本寺には参詣者が詰めかけ、線香の煙が絶えなかったそうです。
また意知を斬った脇指が粟田口忠綱(あわたぐち ただつな)の作であったことから、同作の人気が高まり、価格も上昇しました。
他にも寛政元年(1789年)には事件をモデルとした黄表紙『黒白水鏡(こくびゃくみずかがみ)』が出版され、また浄瑠璃や歌舞伎の「有職鎌倉山(ゆうそくかまくらやま)」などが田沼騒動物が演じられています。