拷問の名手・中山勘解由、庶民の英雄・大岡越前~江戸時代の治安を支えたレジェンドたち (2/4ページ)
中山は探索の末に一味を捕らえ、厳しい取り調べで罪状を自白させます。彼は拷問の一種である海老責めを考案した人物で、市中に横行する無頼者を次々に捕らえて苛烈な取り調べをして処刑したことから、鬼勘と呼ばれ恐れられました。
むち打ち、海老責、釣責…想像したくもない江戸時代の残酷でキツすぎる拷問の数々中山はその後、大目付になり家柄以上の出世を遂げました。19世紀半ばに編纂された『青標紙』には、功績を上げた火盗改の代表として、長谷川平蔵とともに中山勘解由の名が挙げられています。
大岡越前の実績時代劇でその名を知られる大岡越前守忠相(1677~1752)もまた実在の人物であり、長谷川平蔵はこの名奉行になぞらえて今大岡と呼ばれました。
つまり大岡越前は、その後の庶民のヒーローのモデルとなる人物だったのです。
徳川幕府では、一度知行高を与えるとその子孫が引き継いでいくため、歳出がどんどん増えていきます。そこで八代将軍・徳川吉宗は、役職の在任中のみ知行高を上乗せする足高の制を定めました。
もともと家格がそれほど高くなかった大岡忠相が、要職である町奉行に抜擢されたのも、足高の制の成立の契機となった人事といえます。彼の功績は、法律さえ変えてしまうほど目覚ましいものだったのでしょう。
