「切腹せよ」酒に酔った失言で家臣を死なせた名将・福島正則の悲劇と不器用な終幕【後編】 (2/3ページ)

Japaaan

主君の言葉は、たとえ酒の席のひとことでも命令と受け止める。それが武士の覚悟であり、忠義というものでした。彼は黙ってその言葉を受け入れ、その夜のうちに命を絶ってしまったのです。

翌朝、酔いがさめた正則は、清右衛門の最期を知って、声をあげて泣き崩れたと伝えられています。あれほど信頼していた家臣を、自分のひとことで死なせてしまった。彼の胸の内は、どれほど苦しかったことでしょう。

こうして、正則はその生涯で、ふたつのかけがえのないものを酒によって失いました。ひとつは、家の誇りであった名槍「日本号」。そしてもうひとつは、忠義に厚い家臣の命です。

そんな正則も、とうとうおこられて、領地を取り上げられてしまうという、大きな失敗をしてしまいます。

大名としての失脚 幕府の不信を買う

時は1619年。徳川家康が亡くなって、まもないころのことです。正則が住んでいた広島のあたりを、大きな台風が通りぬけ、広島城が大きなダメージを受けました。本丸(二の丸や三の丸という、城の中心部)や石垣が、あちこち崩れてしまったのです。

それを見た正則は、「このままではまずい」と思い、城の修理を始めました。じつは、工事を始める前に幕府に知らせてはいたのですが、きちんとした許可が出る前に動いてしまったため、「勝手に修理をした」として問題になってしまいました。

しかも、正則は前にも「城造りのルール」をやぶっていたことがあったのです。全国の大名に対して「一国につき城はひとつまで」と決められていたのに、新しく城をつくったことを、毛利家という別の大名が幕府に伝えていました。

そのため、今回の修理も「またやったのか」と見られてしまい、幕府は厳しい態度をとることになります。

正則は、「屋根が雨でぬれていたから、しかたなく直しただけです」と説明します。実際に江戸へ行って、謝ることもしました。そして、幕府からは「本丸以外のところもちゃんと壊すように」と命じられました。

ところが、正則は本丸だけを取りこわして、二の丸や三の丸には手をつけませんでした。それが、また問題になります。

「「切腹せよ」酒に酔った失言で家臣を死なせた名将・福島正則の悲劇と不器用な終幕【後編】」のページです。デイリーニュースオンラインは、福島正則戦国武将戦国時代カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る