「切腹せよ」酒に酔った失言で家臣を死なせた名将・福島正則の悲劇と不器用な終幕【後編】 (3/3ページ)

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「約束をちゃんと守っていないじゃないか」と言われたのです。

さらに悪いことが重なります。人質として江戸に行くことになっていた息子・忠勝(ただかつ)の出発が遅れたのです。しかも正則は、「あれこれ聞かれても、親が決めることだ」とはっきり答えませんでした。これで幕府の怒りは、さらに大きくなります。

とうとう将軍の徳川秀忠が怒り、正則の家へ二人の使者を送ってきました。使者が伝えたのは、とても重い処分です。

「今の領地、安芸と備後の50万石はすべて取り上げる。かわりに、信濃(今の長野県)と越後(今の新潟県)にある、あわせて4万5,000石だけを治めるように」

このようにして、正則は大きな領地を失い、小さな土地にうつることになったのです。いままでの努力や名誉が、一気に消えてしまったようなものでした。

晩年の正則

その後、正則は息子の忠勝に家をゆずって、身を引きます。そして、出家して「高斎(こうさい)」という名前を名のりました。ようやく、静かな暮らしを送る…と思われましたが、そううまくはいきませんでした。

次の年、1620年。まだ若かった忠勝が、病気で亡くなってしまいます。正則は深く悲しみ、自分の領地のうち2万5,000石を幕府に返上しました。

武功にあふれ、名将として称えられながらも、ひとりの人間としての弱さを抱え、失敗と後悔を繰り返しながらも生きた姿。その不完全さこそが、福島正則という人物を、ただの「偉人」ではなく、「語り継がれる人間」にしているのかもしれません。

参考文献:南條範夫 著『大名廃絶録』(1964 人物往来社)

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