幕府も黙認、江戸時代の寺社はカジノ状態。なぜ江戸の博徒は寺社に集まったのか?【後編】 (2/3ページ)
阿佐田哲也の『麻雀放浪記』では、僧侶が賭け麻雀に興じたり、寺社の中で博徒が集まって卓を囲む画面がありますが、実は「寺社イコール賭博」という図式はごく自然なものだったのです。
賭博を行う賭場は宿場にも登場し、入場料も徴収されました。とりわけ大きな街道の宿場で栄え、多くの人たちが金を落としたと言います。
このように、江戸時代は実は賭博天国・博打地獄でもあったのです。
一揆では盗賊もごたまぜここまで博徒が力を持ってくると、当然取り締まりも強化されるだろうと思うかも知れません。しかし、そうはなりませんでした。
幕府の直轄地である天領には武士の役人がいなかったので、警察権が弱かったのです。よってもともと博徒を生みやすい土地柄だったのも、賭博が流行した大きな理由のひとつでした。
享保9年(1724)から天領化している甲斐国(山梨県)にもそういった歴史があります。
駿河の清水次郎長との抗争を繰り広げた黒駒勝蔵や、浪士組(新選組の前身)に参加した祐天仙之助など、有名な博徒を多数輩出しています。