映画『おーい、応為』離婚、出戻り、仙人に憧れ…北斎の娘・葛飾応為(長澤まさみ)の破天荒な生涯 (3/5ページ)
彼女は妙々と描き、よく画法に適っている」と評したそうですから、よほどの腕前だったのでしょう。
また北斎に私淑していた渓斎英泉(けいさい えいせん)も、自著『无名翁随筆』にて「画を善(よく)す、父に従いて今専ら絵師をなす、名手なり」と評しました。
この『无名翁随筆』が天保4年(1833年)に出版されていることから、応為が天保初年ごろまでに出戻って(「父に従いて今専ら絵師をなす」状態にあった)いたことが分かります。
それから北斎が嘉永2年(1849年)に世を去るまで十数年間、偏屈な父娘は二人で暮らしていたようです。
応為自身の没年についてはよく分かっていません。安政2~3年(1855~1856年)ごろとも、慶応年間(1861~1864年)まで生きたとも言われています。
「北斎の娘」世にはばかる?
そんな葛飾応為は、先ほどの結婚生活から見てわかる通り、かなり個性的な女性でした。
彼女は男気にまさる任侠肌……と言えば聞こえはいいですが、要するに言動はガサツでやや慎みを欠き、貧乏暮らしにも頓着しなかったそうです。
天才肌な人物にありがちな「好きな絵さえ描いて生きてさえ行ければ、後の細かいことは基本どうだっていい」というタイプだったのでしょう。
料理の支度をしたことがなく、食事が終わると食器の片付けもせずにほったらかし。生魚をもらうと、捌くのがめんどくさいから人にくれてやっちまう……万事そんな調子ですから、他の家事も推して知るべしです。