江戸のギャンブル沼。賭博の蔓延が規格外すぎた江戸時代、奉行が出した驚きの結論【後編】 (1/3ページ)
大名屋敷も賭場に
【前編】では古代から江戸時代までの賭博事情について駆け足で説明しました。
賭け事しない奴は野暮?なぜ江戸時代は大奥や子供までも”ギャンブルの虜”だったのか?【前編】【後編】では、こうした状況の実情と、行政の対応について見ていきましょう。
サイコロを使った賭博は、身分や場所を問わずに行われていました。
そういえば『仕掛人藤枝梅安』にも、「どこの大名屋敷でもそうだが、ことに下屋敷の中間部屋は、夜になると博打場になってしまう」という記述があります。
もちろん当作はフィクションですが、作者の池波正太郎は賭博が当たり前のように行われていた当時の状況について、深い理解を持っていたのでしょう。
いわゆる大名屋敷だった松平忠昌上屋敷(龍ノ口屋敷)の模型(Wikipediaより)
実際、奉行所も大名屋敷には手が出せなかったので、賭場としては最良の環境でした。寛政7年(1795)には、火付盗賊改の長谷川平蔵から申請された次のような判決例があります。
