『べらぼう』で描かれた佐野政言の”切腹”。武士道において作法まであった切腹はなぜ美徳なのか

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『べらぼう』で描かれた佐野政言の”切腹”。武士道において作法まであった切腹はなぜ美徳なのか

日本古来の精神を象徴してきた「武士道」。そんな武士道と切ってもきれないもの、それは切腹です。切腹は、鎌倉時代の武士の誕生とともに確立し、かつては美徳とされました。

大河ドラマ「べらぼう」の第28回放送「佐野世直大明神」では、江戸城内で若年寄の田沼意知(宮沢氷魚)を斬った佐野政言(矢本悠馬)が切腹を命じられ、命を絶つ一幕が描かれました。

ちなみに佐野政言の実際の切腹時は、「べらぼう」では描かれなかった、斬首執行人とのやり取りがあったのです。

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話を戻して、人間の腹部は、心臓などのいわゆる急所とは異なるため、切腹は自殺の方法としては激しい苦痛を伴います。そのため、本人と別に、介錯人といって後ろから首を打ち落とす役目が必要でした。

現代人の感覚からすれば、喉をつく方が確実なような気もするのですが、なぜこのように腹を切ることが美徳とされたのでしょうか。

切腹を再現した図 Wikipediaより

魂の在り処

それは当時、人間の生命の本体、つまり私たちが魂と呼んでいるものが、腹部に宿っているとされたからです。そのためその部分を切り開いて、人様に赤心をさらけだすというような意味で切腹という作法が定着したようです。

それが死を恐れない勇気と結びついて、武士の死に様としてはもっとも理想のものという考え方が生まれたそうです。

実際の作法

さて、実際の切腹の流れは、まず切腹人が沐浴をします。介錯の邪魔にならないよう、髪は茶筅に結われます。衣装は白か浅葱色、夏なら白帷子が普通でした。裃は水浅葱、無紋かつ麻の素材でした。

切腹刀は9寸5分(約29センチ)の短刀と決まっており、柄をはずし、切っ先5〜6寸を出して奉書紙で巻き、その上をこよりで結びました。北を向いて座し、盃で末期の水をふた口飲みます。終わると介添人が三方に乗せた切腹刀を運んできます。

切腹人は検使に目礼、腹を出すように衣服の前を広げ、三方を引き寄せ、いよいよ切腹刀を手にします。

左手で刀を取って目の位置に掲げ、右手に持ち替えて左手でおヘソの上を3度撫で、一気に左脇腹に突き立てます。そのまま右腹まで引き回します。

時代劇などではタイミングを見計らってこのへんで介錯人が首を打ち落としますが、本来の切腹の作法はまだ続きがあり、右腹まで切ったら刀を抜き、持ち替えて刃を下にし、みぞおちへ切っ先を突き立てて、臍の下まで切り下げるのだとか。

あまりの痛みで、ここまでちゃんと遂行できた人が何人いたことでしょうか・・・。

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参考文献:稲垣史生「図説江戸おもしろ雑学知識」

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