実は江戸時代の「百姓一揆」は作法やルールが決まっていた!意外な“一揆マナー”の実態 (3/4ページ)
そう、一揆に踏み切った際の百姓の出で立ちや行動は、掟で定められていたのです。
百姓一揆で、特にタブーとされた行為の一つは放火でした。実際に、17~18世紀に起きた百姓一揆の記録を見ると、放火が行われたのは二件のみだったといいます。
もっとも見方を変えれば、そうしたルールを設定しないと、百姓一揆を起こした群集は暴徒と化して放火もしかねないということだったのでしょう。
「女性」「武器」はNG一揆について領内の各地に知らせる際には、一揆の目的や集合する日時、参加しない場合の制裁方法などを記した廻状が作られました。
都市における打ちこわしの場合、張札が用いられることが多かったようです。
また動員の対象となるのは原則として男性であり、女性が加わることはほとんどありませんでした。
米騒動や女性の労働に関わる問題で強訴する場合には女性が加わった例もありますが、打ちこわしなどの暴力行使が始まると、後景に退くのが一般的でした。
強訴の開始の合図は決まっており、かがり火を焚いたり、法螺貝を吹いたり、半鐘を鳴らしたりするなどします。視覚・聴覚を通して、日常とは異なる行動が始まったことを知らせたのでしょう。