実は江戸時代の「百姓一揆」は作法やルールが決まっていた!意外な“一揆マナー”の実態 (4/4ページ)

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かがり火のイメージ

強訴の際に一揆勢が持ち出したのは、鎌や鍬・鋤などの農具であり、鉄砲や刀剣などの武器ではなく、それに加えて、農作業と同じ蓑笠を着用するのが一般的でした。

ちなみに、豊臣秀吉による刀狩りでは、農民は完全に武装解除されたわけではなく、あくまでもターゲットにされたのは「刀」でした。

刀狩りは、農民から刀を取り上げることで武士と農民をしっかり区別、身分制度を確立することが目的だったのです。

よって農民も刀以外にも武器になりそうなものは所持していたものの、それを一揆の暴力行為の道具として用いることはなかったのです。

参考資料:藤野裕子『民衆暴力―一揆・暴動・虐殺の日本近代 (中公新書・2020/8/20)』
画像:photoAC

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