平均寿命22歳 苦界に身を落とした遊女が死して投げ込まれた、現存する「浄閑寺」とは? (2/3ページ)
将軍は4代目の徳川家綱なので、江戸幕府も落ち着いてきたころでしょう。
新吉原江戸町 松葉屋瀬や満 いろか ゆかり
この浄閑寺に遊女が投げ込まれるようになったのは、1855年・安政2年に起こった「安政江戸地震」からです。地震はマグニチュード7クラス、死者数が1万人ほどではないかといわれています。
安政の大地震絵図(wikipediaより)
この地震で吉原の遊女たちも大勢亡くなり、浄閑寺に投げ込まれるようになりました。ただし、言葉通りに投げ込まれていたわけではなく、地震の混乱と重なって、投げ込まれるようにして遺体が運ばれてきたのでしょう。
その後、身寄りのない遊女が亡くなれば浄閑寺で埋葬されるようになります。それで浄閑寺は「投げ込み寺」と呼ばれるように。
浄閑寺には、1743年・寛保3年から1926年・大正15年までの遊女の名を記した過去帳が現存するそうです。そして浄閑寺に葬られた遊郭関係者(遊女、遊女の子供や遺手婆)の数は、推定2万5千にもなるとか。