江戸時代、なぜ犯罪者で非合法の存在「岡っ引」が治安を守る上で必要だったのか? (3/3ページ)
「博徒が岡っ引になって博徒を捕らえる」というなんともカオスな実態ではあったものの、岡っ引たちにも、捜査を助けることで自分の罪を軽減してもらえるというメリットがあったようです。
ここから二足の草鞋を履くという言葉も生まれました。
しかし問題もありました。岡っ引はそのスジの者なので、犯罪事情に明るい一方、先述した道案内と同じように奉行所の権威を悪用する者もいたのです。
例えば金品を脅し取ったり、賄賂を受け取って犯人を逃がすなどして、捜査の邪魔になる例も少なくありませんでした。
小遣い程度の金銭で捜査に携わらせているので、そのような弊害が出るのはある種当然のことだったといえるでしょう。
あまりにやりたい放題だったので、幕府も「岡っ引は町奉行所が雇った者ではない」というお触れを出すほど。八代将軍・吉宗は岡っ引を嫌い、厳しく処分するなどして廃止を試みました。
博徒を捕えていた博徒が、今度は非合法の存在として処分されるのだからもうめちゃくちゃです。
それでも、人手不足で苦しむ同心にとっては岡っ引は必要な存在だったのですぐに復活。幕末期には400~500人の間っ引がいて、子分も含めると1500人以上にもなったといいます。
江戸の町は、こうした非合法の捜査官によって辛うじて維持されていたのです。
参考資料:縄田一男・菅野俊輔監修『鬼平と梅安が見た江戸の闇社会』2023年、宝島社新書画像:photoAC,Wikipedia
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