歌舞伎で風紀が乱れる?江戸時代に歌舞伎や相撲が”危険視”されていた理由【前編】 (3/3ページ)

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幕府から許可を与えられた者を座元といい、スポンサーである金主から資金を集め、役者や狂言作者と契約して興行を行っていました。

江戸中期以降、座元として興行を許されたのは中村座の中村勘三郎、市村座の市村羽左衛門、森田座の森田勘彌で、その権利は代々世襲されていきます。

歌川廣重『東都名所  芝居町繁榮之圖』 芝居見物客で賑わう猿若町。通り左側手前から中村座・市村座・河原崎座(Wikipediaより)

ところで相撲の興行は、神社や寺院の造営や修繕の費用を集めるための資金集め(勧進)で行われることがほとんどでした。

一方で、各地の祭礼や盆の行事で草相撲も盛んに行われ、人気を博します。

現在では格式張ったイメージがある相撲界ですが、江戸時代は女性の観戦が禁じられており、血気盛んな男たちが好む娯楽でもありました。

しかし応援に熱が入りすぎて、見物客同士のケンカも多かったようです。このあたりは、西欧のサッカー観戦におけるフーリガンなどを連想しますね。

江戸時代初期の遊里案内書『色道大鏡』では、「悪性」のひとつとして角力(相撲)が挙げられていますが、博打や男伊達、大酒飲みと並ぶ「始末に負えないもの」とされているのです。

【後編】では、実は存在していた「女相撲」や、こうした芸能と無頼者たちとの関わりについて説明します。

参考資料:縄田一男・菅野俊輔監修『鬼平と梅安が見た江戸の闇社会』2023年、宝島社新書画像:Wikipedia

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